北京・大連旅行2

KMKa2010-06-09

北京から飛行機で1時間ほどの距離にある大連。かつては日本やロシアの租界地であり、その痕跡を見に行こうと思いました。しかし大連は現在中国のなかで経済技術開発区に指定されており、経済発展によって大きく変化してしまっていました。大連の顔ともいえるパリの放射状街路をモデルにしてつくられた「大広場」は、かつては大連市役所、大連民政署、関東逓信局、横浜正金銀行などが広場を囲み、名実ともに象徴的な広場だったということですが、現在は背後に高層ビルが建ち、広場にも賑わいはなく、少々期待はずれの印象を受けました。その後、かつてのロシア人街や日本人街にも行ってみましたが、ロシア人街はほとんどスラムのような状態、日本人街は大手の不動産会社による戸建開発地となってしまっていて、満鉄の社宅もほんの数件が辛うじて残っているだけでした。ロシア人街では建物は日本人街よりは群として残っているようでしたが、行政として保護や整備をしている様子もなく、経済発展の裏と表を感じました。気を取り直して、大連駅を見に行きました。大連駅は満鉄時代に開業した駅で、その外観は上野駅に似ているといわれているそうです(参考文献:大連都市物語、西澤泰彦著)。広大な駅前広場の周囲を利用客の動線を分離するための長いスロープが囲み、当時よりもさらに増加した現在の乗降客にも十分に対応しています。上野駅では駅前にかつて走っていた路面電車がなくなり、タクシー待合になり、歩道橋が交差し、かつての正面性が失われていますが、大連駅は乗降客を受け入れる顔として立派にその正面を構えていました。上野駅は目の前に首都高が走り、かつての風景を取り戻すことはほぼ不可能だと思いますが、周囲に高層建築がものすごい勢いで建つ大連でも、この駅だけは当初の交通計画を生かした駅としての構えを保ったまま利用され続けられるといいなあと思いました。(MK)