MACAOに行ってきました。

KMKa2009-04-02

マカオに行ってきました。2002年に調査を始めてから、かれこれ10回近くマカオに行っていますが、前回訪れた時から今回は2年近くの時間が経っており、その間にかなり巨大な大型のカジノが建設され、都市の様相が大きく変貌していました。建設段階の状況を見ていたにもかかわらず、そのメガスケールの‘物体’を直接目の前にすると、やはりその巨大さに圧倒されずにはいられませんでした。
マカオは「東洋のラスベガス」としてカジノ観光が有名ですが、カジノ産業が盛んになったのは実はそんなに古くなく1970年代以降のことで、大型のカジノ建築が建設されているのも、1920年代以降につくられた湾岸の埋立地です。16世紀以降ポルトガルによる統治を受け、現在世界遺産に認定されている地区や建築物はマカオ半島の中心部にあるので、これまではカジノ建築とは、(まあ微妙ですが)何とか地域的にも「住み分け」がなされていたといえます。しかし、2002年のカジノ資産の海外開放政策により、ラスベガス系、香港系など多様な資本によるカジノ建築ラッシュは、用途規制や建築物の高さ規定を変更させ、いとも簡単にこれまでの曖昧な住み分けの境界を塗り替えてしまいました。例えば、高さ50mに規制されていたNAPEと呼ばれる埋立地では、70m〜80mもある高層のホテル棟を含む巨大な遊興施設が建設されたり、学校のすぐ横にカジノがそびえ今なお土地収用のための圧力がかかり続けていたり、増加する人口を受け入れる集合住宅地として計画されていた地域が大型遊興施設の建設予定地に変更されていたり、などなど。これもすべてカジノからの税収を見込んでのことなのですが(マカオ財政の大部分がカジノからの税収なので。。)、マカオの建築家によれば、このような変更は水面下で行われることがほとんどで、あるとき突然発表され、そのプロセスや誰が関わっているかなどはかなりブラックボックスだそうです(まあ、なんとなく理解できますが。。。)。

マカオは天然資源もなく、特殊産業もないので、20世紀以降ずるずるとカジノに頼らざるを得ない社会的状況に陥ってしまったといえます。カジノ産業の発展がマカオ経済を支え、都市領域の拡大や整備をサポートしてきたことも確かです。確かにマカオの街中はどんどん整備が進み、広場や路地が舗装され直したり、ゴミ箱が整備されたり、花壇や鉢植えの手入れもされたり、かなり小奇麗になってきているのを実感します。しかし、旧市街のすぐ横に建設された「グランドリスボア」はその巨大で奇抜な外観は旧市街のどこにいても目に入り、歴史的な建造物の背後にそびえるその建ち方は、これまでの景観を破壊し、カジノ至上主義を象徴し、現在のマカオのパワー構造を表徴しています。TAIPA島とCOROANE島の間の海を埋め立てたCOTAIと呼ばれている巨大な埋立地は、もともと集合住宅建設予定地でしたが、現在はすべて大型遊興施設建設工事が進められています。2002年に調査に行った時に学生と見に行ったポルトガル的な住宅が並ぶ海岸はすでに埋め立てられ、目の前にはこれまたメガスケールのカジノ兼ホテル兼ショッピングセンターが建てられていて、情報としては理解していましたが、やはりその場に立つと、かなりショッキングな光景でした。

このように現段階では、これまでの「微妙な住み分け」の構造は壊れ、各所で様々なゆがみが生じています。カジノ頼りの経済政策が今後いつまで継続できるのか甚だ疑問で、まだまだ中国本土からの観光客の増加を期待し、まだまだ続くカジノ建設に、そんなに楽観視していいのか?と言いたくもなりますが、幸い?この不景気で、カジノの収益も激減し、いくつかの工事はストップしているらしく、この小休止で多少なりとも方向転換のきっかけにならないかと、全世界がこの100年の不況を嘆く中、マカオの都市を思うとこの不況は救世主と思えるのでした。(MK)