告白・反省

KMKa2008-12-01






昨日、外国の建築家をお連れして東京案内をしたのですが、その際に丹下健三の東京カテドラルへ行ってきました。ここで、告白なのですが、大変お恥ずかしいことながら、私は東京に長年住んでいながら、この建物の実物をみたことがありませんでした。ずっと見たいとは思っていたのですが、なかなか機会が無くて・・・というのはただの言い訳なのですが、大変送ればせながら、この名作を見てきました。

幸いお天気もよく、スパンドレルの外壁は美しく光っていました。外観の第一印象は、思ったより小さいな、と。でも内部に入って、あまりの迫力に圧倒されました。残念ながら、内部は撮影禁止と言うことだったのですが、打ち放しコンクリートのシェル構造で作られた大空間は、まるで洞窟の中へ迷い込んだようで、高い天井から差し込む光は、天から投げかけられた光、と素直に思えるようでした。丁度十字に交差する天窓の頂点部分が祭壇の前にあり、結婚式の日に雨が降ると誓いを述べる新郎新婦の真上が雨漏りがしたと聞いたことがありましたが(もうその辺は修繕されていると思いますが。)、雨が漏ろうと、空間に全く合っていないクリスマスのデコレーションが壁に貼ってあろうと、ダンボールが散らかっていようと、びくともしない空間の強さがそこにはありました。

これほどの作品に対して生意気なのですが、ちょっとだけ気になるところがありました。私はクリスチャンなのでその点から言うと、教会の建物は大抵入り口が「狭き門」になっていて、そこから入ると、自らを清める聖水などの導入部があり、それから大空間へ入っていきます。その短い過程において、外から「聖なる空間」に入る心の準備をするのですが、カテドラルはその過程があまりなく、確かに入り口部分の天井は低くなっているのですが、そこからすでに大空間が感じられてしまうので、この素晴らしい内部に足を踏み入れるまでの、どきどき感をもう少し延長することができたら、もっと内部のインパクトがあったのではないかと、思いました。

東京に住んでいながら、これほどの名作を今まで見に行っていなかったということは、ひとえに私の怠慢だとつくづく反省しながら、久々に建築に対して、心から素直に感動した体験でした。(KM)