旅するということ、住むということ

KMKa2008-09-13

人はどういうきっかけでその場所に「住んでいる」、という感覚が生まれるのか、最近気になっています。これまで調査で長期間海外に行くことはあっても、住んでいるという感覚にはなりませんでした。でも人によっては短い期間でも「住んでいる」という感覚を抱くかもしれません。
例えば、地図を持たなくても行きたい所に行ける、馴染みの店ができる、お気に入りのルートや場所ができる、何がおいしいかわかる、友達ができる、図書館でカードをつくる、地下鉄できょろきょろしなくなる、どっちのスーパーが安いか、どこに何を売っているのか迷わなくなる、などといったいろいろな行動パターンや場所の使い方の感覚に変化が生じ、そこから「住む」という感覚に至るのだと思います。その場のルール(慣習などの生活環境)を理解し、考えなくてもその状況に応じることができるようになる、という意味での「自由」になることと、お気に入りの場所や駅までの最短ルートを行き来するようになる、というような空間や行動の「規定」、といった双方のバランスによるのだ、と思います。
このバランスは人によって違うと思うのですが、方向音痴で心配症の私はポルトガルに来て1か月ほどした最近やっとこの感覚にだんだん至っている気がします。私にとってはこのような感覚の変化は初めてのことで、今はいつになったら「住む」という感覚に完全に至るのか、自分の中の変化を楽しんでいるところです。
こういう感覚は、都市にも住宅にも、スケールを問わず当てはまると思います。引っ越ししたばかりは、家の中でもお気に入りの場所やモノのありかを規定できずにいろいろ迷いますが、そのうちそういったことが徐々に規定され、設備の使い方やコツをつかみ、そういった煩わしさから自由になります。その次には、いかにお気に入りの場所や記憶に残る感覚が多く発見できるか(つくれるか)、ということが都市や住宅の楽しさや深みにつながっていくのだと思います。どのような場所や風景を気に入るのかは人によって様々なので規定することはできませんが、いずれの場合においても「住む」という感覚に至った先が大事で、その先をいかに豊かにできるかということを設計においても勝負していきたいと改めて感じている今日この頃です。(MK)